集会説法


 一般に「密教」において「教え」を授けるのに事相(じそう)と教相(きょうそう)の両部門があり、事相は実践修行(じっせんしゅぎょう)の面をいい、教相は教理哲学(きょうりてつがく)の面をいいます。
 大元密教では、
事相を正座観法行、教相を集会説法によって示しており、この二つは車の両輪の様に平行して進まなくてはなりません。
 即ち、「正座観法行」を実践することにより、密教的に、己れの体験を通して境地を開拓し、神を知り、神の教えを神より直接うけると共に、他方、顕教的に「集会説法」を通じ、教義の解説を聴き、己れの疑問を質し、また他の人の体験例を聞く等して、さらに「教え」の理解を深めることも、欠く事の出来ない大切な事であります。
 特に、「正座観法行」を始めて初期の段階では、「行」中の動きや現象に捉(とら)われ易く、疑問や疑惑をいだきがちであり、この「行」や「教え」そのものがこれまでに類を見ないだけに理解しにくい点も多々生じることと思われますので、努めて「集会説法」に出席し、お話を聴き、その疑問を解く積極的な努力が望ましいのであります。
 密教は「神自らの教え」だから「行」さえしておればよいのだという考え方は正しくありません。顕教的な面を充分採り入れて、顕密両面平行してこそ正しい修行の態度というべきであります。